なぜ捨てられないのか?
捨てられないのは、私たちの理が通じていないからです。あるいは少しは理解していても、徹底していないのです。理が徹底的に通じた後、ここに坐って考えてみれば、私たちの色身から宇宙全体・山河大地・三千大千世界・十方の仏国土に至るまで、理に従って推し量れば、全ては無所有からまた無所有へと帰するもので、真実なるものは何一つありません。これは深く禅定に入り、この道理を微細に観行し、この理を認証しなければなりません。真実の観行認証の過程を経なければ、修行は全て力を得ず、煩悩を降伏させる力もなく、具体的な事柄に遭遇する度に、触れる一切の法を依然として真実と捉え、執着と煩悩を生じるのです。定力が足りず、福徳も不足し、智慧も不十分で、観行も充分でなければ、無我の果位を証得することはできません。
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