衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月09日    水曜日     第1 回の開示 合計2886回の開示

長阿含大縁方便経第九

(四)原文:阿難よ。愛によって求あり。これ何の義ぞ。もし一切衆生に愛なきものあらば、まさに求あるべけんや。答えていわく、なし。阿難よ。我この縁をもって、求は愛によることを知る。愛によって求あり。我の説くところの義、ここに在り。また阿難に告げていわく、愛によって求あり、守護に至るまで。受もまたしかり。受によって求あり、守護に至るまで。仏、阿難に告げていわく、触によって受あり。これ何の義ぞ。阿難よ。もし眼なく色なく、眼識なきものあらば、まさに触あるべけんや。答えていわく、なし。もし耳声耳識なく、鼻香鼻識なく、舌味舌識なく、身触身識なく、意法意識なきものあらば、まさに触あるべけんや。答えていわく、なし。 

釈:阿難よ、愛着によって求める心が生じるとはどういう意味か。もし一切の衆生に愛着がなければ、求める心があろうか。阿難は答えて「ありません」と。仏は「阿難よ、この縁によって、求めることは愛着によることを知る。愛着によって求が生じる。私の説く教えの意義はここにある」と。さらに阿難に「愛着によって求が生じ、守護に至る。感受(受)も同様で、感受によって求が生じ守護に至る」と告げた。仏は阿難に「触縁によって受が生じるとはどういうことか。もし眼根と色境がなく、眼識がなければ触はあるか」と問う。阿難は「ありません」と答えた。「耳・声・耳識、鼻・香・鼻識、舌・味・舌識、身・触・身識、意・法・意識がなければ触はあるか」との問いに「ありません」と答えた。

原文:阿難よ。もし一切衆生に触なきものあらば、まさに受あるべけんや。答えていわく、なし。阿難よ。我この義をもって、受は触によることを知る。触によって受あり。我の説くところの義、ここに在り。阿難よ。名色によって触あり。これ何の義ぞ。もし一切衆生に名色なきものあらば、まさに心触あるべけんや。答えていわく、なし。もし一切衆生に形色相貌なきものあらば、まさに身触あるべけんや。答えていわく、なし。阿難よ。もし名色なければ、まさに触あるべけんや。答えていわく、なし。阿難よ。我この縁をもって、触は名色によることを知る。名色によって触あり。我の説くところの義、ここに在り。 

釈:仏は「阿難よ、もし触がなければ感受はあるか」と問う。阿難は「ありません」と答えた。「この道理によって、感受は触によって生じることを知る。触縁によって受が生じる。私の説く意義はここにある」と。さらに「名色によって触が生じるとはどういうことか。もし名色がなければ心の触はあるか」と問う。阿難は「ありません」と答えた。「もし形ある色体相貌がなければ身触はあるか」との問いに「ありません」と答え、「名色がなければ触はあるか」との問いにも「ありません」と答えた。仏は「この縁によって、触は名色によって生じることを知る。名色縁によって触が生じる。私の説く意義はここにある」と結論された。

——生如法師の開示
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