衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月01日    土曜日     第5 回の開示 合計1061回の開示

立派な菩薩の基準とは何でしょうか

修行を速やかに進め、良き菩薩となるためには、人と話す際に柔和な態度を保ち、鋭い言葉や威圧的な口調を避け、争いを善く調和させ、できる限り衆生を結束させ摂受すべきです。菩薩の四摂法は最大限実践されねばならず、衆生を摂受することが第一であり、敵を作ることは菩薩としての大忌です。菩薩の目には敵対関係など存在せず、全ての衆生は自らが摂受すべき対象です。故に道場を戦場と見做して舌戦を繰り返し、勝敗や優劣を争ってはなりません。

各人が内に抱える自我を厳しく管理し、常に鋭気を露わにして強い自我心で他者を怒らせることなく、自らを降伏させ隠すべきです。煩悩を調伏することこそ真の修行であり、他者を屈服させ抑圧することではありません。菩薩の心性は柔和であるべきで、他者には情に訴え道理を説き、理にかなっていても人を追い詰めず、時に一歩譲ることでかえって人を折伏摂受できるものです。

人を救済し修行するには剛柔を併せ持ち、自らには厳しく、逆境には剛毅に、人に対しては極力柔和に接するべきです。これによって衆生を周囲に摂受し、衆生と一体となることができます。千里を隔てるような話し方をすれば、衆生を遠ざけ縁を結べず、合格な菩薩とは言えず、衆生を摂受することも叶いません。

心が剛であれば折れやすく暴力的になりがちです。心が柔らかければ曲がっても折れず、菩薩は弾力性を持ち、状況に応じて柔軟に対応しつつ本質を保持すべきです。菩薩は本来あらゆる争いを調和させる術に長け、絶え間ない紛争を引き起こすべきではありません。良き菩薩となるためには、柔和で調和的な態度を学び、衆生を摂受する術を習得することが必須の修業です。理を以て人を追い詰めること、鋭い言葉で威圧することは菩薩の大忌であり、これに違反すれば衆生から遠ざかり悪縁を結び、四摂法に背くこととなります。

——生如法師の開示
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