修行を早く進め、良い菩薩となるためには、人と話す時は優しく、言葉は鋭く威圧的であってはならず、争いを善く調和させ、できる限り衆生を結束させ摂受すべきです。菩薩の四摂法はできる限り実践すべきであり、衆生を摂受することが第一であり、敵を作ることは菩薩としての大忌です。菩薩の目には敵対するものは存在せず、全ての衆生は自らが摂受すべき対象です。ですから道場を戦場と見なして、舌戦を繰り返し、勝ち負けや優劣を争ってはなりません。
各人の心の中にある自我は厳重に管理すべきであり、常に鋭さを露わにして強い自我心で他人を怒らせることなく、自らを降伏させ、自我を隠すことを善くすべきです。煩悩を調伏することこそ真の修行であり、常に他人を降伏させたり圧迫したりすることではありません。菩薩の心性は柔らかくあるべきで、他人には情に訴え、理をもって諭すべきであり、理があるからといって人を許さず、時には一歩譲ることで、かえって他人を折伏し摂受することができるのです。
人を救い修行することは、剛と柔を併せ持つ必要があります。自分には厳しく、劣悪な境遇には強く、人に対してはできる限り柔らかく接する。そうすることで初めて全ての衆生を自らの周りに摂受し、衆生と一体となることができます。もし言葉で人を千里も遠ざけるような話し方をすれば、衆生を遠ざけるだけで、衆生と疎遠になり、衆生と善縁を結べず、それでは合格な菩薩とは言えず、衆生を摂受することもできません。
心が剛直だと折れやすく暴走しやすい。心が柔らかいと曲がっても折れません。菩薩となるには弾力性を持つべきで、曲がるべき時は曲がりつつ、元の位置に戻って変質しないようにできます。菩薩は本来、様々な争いを善く調和させるべきであり、常に紛争を引き起こすべきではありません。良い菩薩になることを学び、柔順に調和し、衆生を摂受することを学ぶことは、全ての菩薩にとって必修の課程です。理があるからといって人を許さないことは菩薩の大忌であり、言葉が鋭く威圧的なことは菩薩の大忌です。これに違反すれば衆生から遠ざかり、衆生と悪縁を結ぶことになり、菩薩の四摂法に違反することになります。
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