衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月02日    日曜日     第1 回の開示 合計1062回の開示

我見の断と我執の断の隔たり

我見を断つ初果と我執を断つ四果との間の距離は、非常に遠いものであります。我見を断った後に我執を断てないのは、初果において証得した無我の理が未だ浅く、範囲も狭いため、意根が我執を頓断することができないからであります。初果を得た後も引き続き五陰無我の理を観行し、観行がますます深まるにつれて無我を証得する程度が深まり、初禅定が生起して煩悩を断じるに至れば、我執は次第に淡薄となり、執着はますます軽微となって、速やかに我執を断尽することができるのであります。

もし四禅定が伴うならば、我見を断つと同時に我執を頓断することが可能であります。これは禅定が一切の煩悩を降伏させ、身の執着を軽微にし、ただ五陰を我とする認識を否定する智慧のみが不足している状態にあるためであります。一旦五陰無我の智慧を具えれば、我執を断尽して四果阿羅漢となることができ、仏在世の外道たちがまさにこのような道を辿りました。もし徹底的に我見を断つならば、それはすなわち我執を断つことに他なりません。

——生如法師の開示
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