衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月02日    日曜日     第2 回の開示 合計1063回の開示

意識思惟の過程とは意根を転換する過程である

我見を断つには確たる証拠が必要であり、証拠が確かでなければなりません。意根の習気も重すぎず、無明があまりに深重であってはなりません。もし意根が非常に愚痴で、たとえすべての証拠が明らかになり、証拠が確かであっても、意根が依然として元の誤った理屈を認めるならば、我見を断つことはできません。意識が絶え間なく観行思惟する過程は、意根の愚痴と無明を絶えず転換させる過程です。意根の無明が薄くなって初めて、事実を認めるようになります。そうでなければ、事実が明らかに目の前にあっても、何の役にも立ちません。

——生如法師の開示
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縁由なき心理的な感情はすべて意根によるものである

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