衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年12月03日    月曜日     第1開示 合計1066開示

菩薩の心行、衆生には揣度できない

菩薩の心行は、衆生には推し測ることができません。とりわけ密行を行じる菩薩の心行は、衆生には解することができません。たとえば釈迦仏は菩薩であった頃、ある一人の男を殺したことがあります。その男は船に乗った際、船上の五百人の菩薩を殺そうとしました。仏はこれを知り、この男が無間地獄に堕ちないように守るため、極めて重い慈悲心をもって彼を殺し、地獄の業を造らせないようにしました。そして、自分がそのために地獄に堕ちて苦しい果報を受けることをむしろ望んだのです。このほかにも、仏菩薩が衆生を度する慈悲と善巧方便を示す事例がいくつかありますが、一つ一つすべて語ることはできません。さもなければ、煩悩心の重い衆生がそれを口実にして悪業を造ることになるからです。

ある人が善であるか悪であるかを見るには、その人のその時の外面の行為だけを見てはならず、主としてその人の心行と心地を見、その人が事を行う目的は何であり、どのような結果に至り得るかを見なければなりません。このような智慧は、普通の人には一般に備わっておらず、大菩薩たちは分寸と火加減を心得、取捨と方便をよく知ることができます。衆生には表面の現象しか見えず、その実質は見えず、真の目的を知ることができません。それゆえ、多くの事柄について、菩薩は衆生にはっきりと告げることができません。衆生には理解できないからです。智慧が浅陋であるがゆえに。

菩薩は衆生を度するために、衆生の中に潜み、屠殺者の身、娼婦の身、客の身、賭博師の身に化して、衆生と交わりを重ねます。その目的は、衆生を生死の火の坑から救い出すことにほかなりません。衆生を救い度することができるならば、菩薩は自らを黒く塗りつぶすことも惜しまず、衆生の誤解と誤認も惜しまず、いかなる代償も惜しみません。菩薩の慈悲、辱めに忍び重きを負う心行を見出せる人が、何人いるでしょうか。

——生如法師の開示
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