衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月04日    火曜日     第2 回の開示 合計1072回の開示

自己暗示と催眠の類似性について

自己暗示法を用いて仏法を観行する際、意識は常に意根に暗示を与え、五蘊は虚妄であり、一切の法は虚妄で、全て如来蔵の機能作用であると伝えます。一定の時が来れば、意根はこれを認可し、我見を断じることができ、自らの潜在能力を発揮し、自己を変容させます。この種の暗示は自己催眠に類似し、自らを比較的静寂で沈着した状態に調整し、内なる声を聴取できる状態に至れば、その時に自己暗示が可能となります。

前述の我見を断ずる内容を、緩急抑揚をつけて徐々に述べ、意根が受け入れるよう導き、かつ意根に一定の緩衝時間を与え、情報を受け取り、思考を整理し、法義を思惟させる必要があります。これには一定の時間と特定の環境状況が必要であり、つまり意根が他の問題に注意を向けず、導かれる内容のみに集中し、心は静寂で安らか、平和な状態を保ち、意識の導きを十分に受け入れることが求められます。もし意識がどこまで導けば、意根もその範囲まで思惟できる状態にあれば、この時意根は比較的従順であり、既に初歩的な薫習を受けておりますが、未だ最終的な成功には至っておりません。肝要は、意識が意根の反応を観察できるか、導く経験を有するか、真に無我の理を理解しているかです。このような導きの催眠は適切な時機と状況において反復実施可能であり、意識の理論が熟達し、意根を観察し、導くことができ、沈着冷静な状態を保持できれば、一定の時日を経て必ずや我見を断ずることが可能となります。

——生如法師の開示
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