衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月05日    水曜日     第1 回の開示 合計1075回の開示

それぞれのレベルの人にそれぞれの法あり

明心した後こそ、真の大乗の菩薩となります。もし心性が明心以前に真に転換されていないならば、合格した大乗菩薩の心性を備えておらず、真の大乗菩薩となることは困難、あるいは不可能です。菩薩には菩薩の品格がなければならず、人には人格が、仏には仏格があり、その心性はそれぞれの果位に相応するのが当然です。そうでなければ偽りの菩薩、偽りの仏です。人格を備えていない者は完全な人ではなく、真の意味での人間とは言えません。

菩薩は無量劫にわたり十方諸仏菩薩に学び、説法において正しい部分は十方諸仏の法に属し、誤った部分は自らの修証が未だ完全でない法です。仏法は一尊仏の所有に帰するものではなく、ましてや菩薩の所有に帰するものではなく、凡夫が仏法を持つことはさらに許されません。仏法を持つ者は仏であり、菩薩法を持つ者は菩薩であり、凡夫法を持つ者は凡夫です。各層の者には各層の法があるため、全ての人は大いなる心を発し、一日も早く仏法を具足してこそ成仏できるのです。

法を観察するにおいて最も究極的なのは仏です。菩薩が悟りを得た後の観察さえも徹底的に究極的ではなく、その程度は不十分です。故に菩薩の証悟は無数の層に分かれ、突然全ての法を悟ることは不可能で、最も徹底的に悟ることも叶いません。菩薩の福徳、禅定、智慧が異なるため、悟りの層も異なります。ある時点に至り、もし菩薩が四禅八定を修めなければ、その後の法を悟ることができず、制限を受けるのです。極めて多くの仏法は依然として極めて深い禅定を通じて悟られるものです。

一部の人々はあえて禅定の作用を否定しますが、菩薩が禅定を修めなければ、道業は根本的に進展せず、ある階位や層に停滞して突破できません。微細な法や極微細な法は必ず禅定神通と相俟ってこそ証得され、完全に証得できるのです。甚深なる智慧もまた極めて深い禅定と神通の協働によって証得されます。

——生如法師の開示
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