(二十七)原文:先に述べた如く、八縁起門のうち、幾つの門が十二支縁起によって顕現されるか。幾つの門はそうではないか。答えよ。三門がそれによって顕現される。即ち二門は一分を顕現し、一門は全分を顕現する。残りの門は該当せず。いずれが二つの一分を顕現するものか。内識生門と自業所作門なり。いずれが一つの全分を顕現するか。有情世間転門これなり。
釈:先述の如く、八種の縁起門のうち、幾門が十二支縁起によって顕現されるか、幾門が十二縁起支によって顕現されないかを問う。答えに曰く、三門が十二支縁起によって顕現され、残りは該当せず。その内二門は十二支縁起の一分を顕現し、一門は十二支縁起の全分を顕現する。 どの二門が十二支縁起の一分を顕現するか。内識生門と自業所作門がこれに当たる。どの一門が十二支縁起の全分を顕現するか。有情世間転門が十二支縁起によって完全に顕現される。
原文:問う。縁起の道理を如実に知らざる者に、幾種の過患あるや。答えよ。五種あり。即ち我見を生じ、前際倶行の見解を発起する能あり。前際倶行の見解の如く、後際倶行の見解、前後際倶行の見解もまた然り。さらにそれらの見解に対し猛利な堅執を起こし、取著と恐怖を有し、現法において涅槃に入ること能わず。これを第五の過患と名づく。問う。如実に知る者に、幾種の勝利あるや。答えよ。前の五過患を翻せば、勝利もまた五種あることを知るべし。
釈:問う。縁起の理を正しく理解できない者には、どのような過失があるか。答えに五種ある:第一に我見を生じ、第二に前際に属する諸行に関する見解を引き起こし、第三に前際に関する見解と同様に後際及び前後両際に関する見解をも生じ、第四にこれらの見解に対して激しく執着し、第五に現世において涅槃を証得できない。問う。正しく理解する者にはどのような利益があるか。答えに曰く、前述の五過失を逆転させた五種の勝利がある。
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