供養の意味は比較的広く、奉持することも供養であり、必要なものを与えることも供養であり、教えに従って実践することも供養であり、尊重することも供養であり、信じて受け入れることも供養であり、礼拝することも供養であり、読誦することも供養であり、憶念することも供養であり、讃嘆することも供養である。
阿羅漢は煩悩と我執を断じ尽くし、その心は欲界・色界・無色界を超越しており、世の中で最も優れた存在であるから、当然ながら世の人間や天界の衆生から供養されるに値する。菩薩は煩悩を断ちつつも惑を残して衆生を潤し、自利利他に努め、己を捨てて衆生のために尽くすので、さらに人天の大衆から供養されるに値する。すべての衆生は仏菩薩と阿羅漢を供養すべきであり、供養する能力があり、かつ供養の意義を理解している限りにおいてである。たとえ一匹の犬であっても仏菩薩や阿羅漢を供養することができ、獅子や虎でさえも供養することができる。仏菩薩や阿羅漢の護衛や従者となり、尊重し礼拝し、教えに従うこと、これらすべてが供養であり、無量の福徳を得る。さらには細菌が仏菩薩の飲食の発酵を助けることさえ、一つの供養である。ただし細菌には知性も心もないため、得られる福徳はごくわずかである。鬼神はなおさら三宝を供養することができ、三宝の田地に福を植え、三宝の加持力によって悪趣から脱し、解脱の果を得ることができる。
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