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日常開示

2021年02月21日    日曜日     第3 回の開示 合計3120回の開示

瑜伽師地論 第十巻(十二因縁)

(三十三)原文:問。応に幾智を以て縁起を知るべきか。答。二つ。法住智及び真実智なり。云何が法住智を以てするや。仏の施設開示するが如く、倒れることなくして知るを謂う。云何が真実智を以てするや。学んで跡を見るが如く、甚深の義を観ずるを謂う。 

釈:問:縁起の義を知るには、幾種の智慧を用いるべきか。答:二種の智慧、すなわち法住智と真実智をもって知るべきである。如何にして法住智をもって縁起の義を知るか。例えば仏が施設し開示された十二因縁の法を、顛倒なく悉く知り、因縁法を如実に証知する智慧を具えることである。如何にして真実智をもって縁起の義を知るか。十二因縁の法を修学した後、聖道の跡を見て因縁観を証得し、法眼浄を得れば、甚深なる縁起法の義理を観察し得ることをいう。 

原文:問。世尊の言う如く、是の諸の縁起は我の作したるにあらず、亦余の作したるにもあらず。所以は如何。仏の出世するも、若しは出世せざるも、法性に安住し、法住法界なり。云何が法性か。云何が法住か。云何が法界か。答。是の諸の縁起は無始時来、理成就の性なり。是を法性と名づく。成就の性の如く、倒れなき文句をもって安立するを、是を法住と名づく。此の法住により、彼の法性を因とす。故に彼を法界と説くなり。 

釈:問:世尊が説かれた如く、全ての縁起法は私が作ったものでも、他の者が作ったものでもない。何故か。仏が世に出ようと出まいと、縁起法は法性に安住し、法界に住する恒常の理であるからだ。何が法性か。何が法界か。答:法性とは、全ての縁起法が無始以来、縁起の理が成就した本性を指す。理成就の性と同様に、顛倒なき文句をもって理を安立したものを法住という。この法住を以て、その法性を因とする故に、それを法界と称するのである。 

原文:問。経に言う如く、生が若し無き者は、処無く位無くして生は有りとすべきなり。若し一切種の生が有らざるならば、生縁老死は得可きにあらず。何故に此の中に、彼の自性は自性を縁とすと説くや。答。自種子の果生に依って説くが故なり。識乃至受支は生の種子なるを謂う。義を以て生と説く。此の有るが故に、後時に即ち此の果支を有縁生と名づく。是の如く余の支も、経の説く所に随い、其の応ずる所を尽くして知るべし。

釈:問:経典に説かれるように、生支が無ければ、五蘊には処も位も無く、生は存在し得ない。もし一切種子の生が無ければ、生を縁とする老死も生じ得ない。生処とは生命が生じる環境(三界九地)を指し、生位とは胎児位・嬰児位など生命の段階を指す。何故ここに生の自性が自性を縁とすると説くのか。答:生命自体の種子が顕現した果報を生と説くためである。識支から受支までが生の種子であり、この理を明らかにするため生と説く。これらの支分が存在する故、後世にこれらの果報支分が生じ、これを有縁生と称する。同様に、他の支分(有・取・愛・受・触・六入・名色・識・行・無明)も経文の説く如く、相応する法に従って理解すべきである。

——生如法師の開示
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