衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年02月25日    木曜日     第2開示 合計3132開示

父子合集経講記(一三三)

<h2 style="text-indent: 2em;">理解と親証の違い</h2>

理解というのは、いわば伝聞に相当するものであり、実際にこの目で見ることとは、その差が非常に大きいのです。たとえば、ある人がどのような人であるかと聞いて、心の中に一つの見方を生じ、何らかの印象を持ったとします。しかし、実際に会って観察してみると、なるほどこうだったのかと、心の中の印象とは完全には一致しません。会った時の感覚と印象のほうが、より真実で信頼できるものであり、その後はじめて、その人に対して相応の態度を取ることができるのです。ありのままに了解し観察した後は、自分の観点、意見、考え、行為や造作が、聞いた時とは違ったものになります。

だからこそ、私たちは心を用いて熏習し、心の奥深くまで熏習して、真に諸根は幻のごとく、五陰は無我であると観行しなければなりません。観行の時に行われるのは第六識の思惟分析であり、分析した後、それを意根に渡し、意根がこの道理の真実性を認めれば、証果となります。意根が意識の思惟観行による道理を認めなければ、何の役にも立ちません。意根にできるだけ早く証得させるには、証拠を確固たるものとし、できる限り現量観察の域に達するようにしなければなりません。観行の途中にはまだ多くの段階があり、行くべき道が多くあり、修めるべき法が多くあります。絶えずさまざまな資糧と道糧を修集し、絶えず福德資糧を修集する必要があり、さらに戒律、忍辱、禅定、智慧もあり、これら六度の条件を絶えず円満させていかなければなりません。

——生如法師の開示
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父子合集経講記(一三四)

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