我を断つ証果とは、末那識が五蘊の非我を認めることであります。悟りを開き心を明らかにする時、末那識は五蘊が虚妄であり、真の自己ではないことを認めるだけでなく、如来蔵を証得し、如来蔵こそが真実の自己であり、末那識自身は真実ではないことを知ります。この時、末那識は主人を見出しますが、煩悩習気はなお残存しており、僅かに軽減されるに過ぎません。末那識が如来蔵こそ真実の我であり、万法は全て如来蔵によって現起され、如来蔵の功能作用であることを了知するに及んで、次第に如来蔵の功能作用を自己の所有とすることを止め、徐々に自我への執着が薄らいでまいります。やがては我執を断つだけでなく法執をも断じ、二つの執着を断尽した時、円満なる仏陀となられるのであります。
7
+1