衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月11日    火曜日     第2 回の開示 合計1089回の開示

我見を断つことと悟りを開き心を明らかにすることは、いずれも意根の証得である

我を断つ証果とは、末那識が五蘊の非我を認めることであります。悟りを開き心を明らかにする時、末那識は五蘊が虚妄であり、真の自己ではないことを認めるだけでなく、如来蔵を証得し、如来蔵こそが真実の自己であり、末那識自身は真実ではないことを知ります。この時、末那識は主人を見出しますが、煩悩習気はなお残存しており、僅かに軽減されるに過ぎません。末那識が如来蔵こそ真実の我であり、万法は全て如来蔵によって現起され、如来蔵の功能作用であることを了知するに及んで、次第に如来蔵の功能作用を自己の所有とすることを止め、徐々に自我への執着が薄らいでまいります。やがては我執を断つだけでなく法執をも断じ、二つの執着を断尽した時、円満なる仏陀となられるのであります。

——生如法師の開示
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修行は真実心如来蔵によって七識の無明と染汚を取り除くことです

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