衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年12月11日    火曜日     第3開示 合計1090開示

修行は真実心如来蔵によって七識の無明と染汚を取り除くことです

如来蔵の本体を除いて、すべては虚妄の法です。仏法を学び修行すること、善を行い衆生を救うこと、成仏という法も含め、すべての仏法も虚妄の法であり、如来蔵から生じ、生滅を繰り返します。ただ如来蔵だけが不生不滅です。涅槃も虚妄の法であり、第八識の円成実性も虚妄の法であり、第八識の真如の性も虚妄の法であり、如来蔵に依って初めて顕現します。五蘊の身心はなおさら虚妄です。これらの虚妄の法を、私たちはどう扱うべきでしょうか。

私たちは真心である如来蔵に依り、妄心である七識を修行し、七識の無明と染汚を取り除き、無明を尽くして究竟に識を智に転じるべきです。真を修めるのではありません。なぜなら如来蔵は私たちが修める必要がなく、それ自体が如来の智慧と徳相を具え、戒・定・慧も円満に具足し、無明がなく、一切の善法の功徳を具え、心の本体は無為であり、自性は清浄だからです。したがって煩悩なく、生死なく、輪廻もなく、本来縛られることもなく、自性は解脱しています。如来蔵自体は修行せず、私たちもそれを修める必要はありません。ただ七識が如来蔵のように清浄になり、もはや生死がなくなれば、解脱自在となるのです。ですから七識が如来蔵を証得して初めて、依るべきものが得られるのです。

——生如法師の開示
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我見を断つことと悟りを開き心を明らかにすることは、いずれも意根の証得である

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随眠煩悩をどのように処理し、対処すべきか

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