すべての人には自ら気づかず、または観察しがたい随眠煩悩があり、一定の因縁条件のもとで初めて顕現します。これらの随眠煩悩は、積極的に社会活動に参加して顕現させるべきか、それとも門を閉じて独修し顕現させぬようにすべきでしょうか。
煩悩随眠とは主に煩悩習気を指し、貪・瞋・癡・慢・疑・悪見が煩悩です。これらの煩悩は初禅定を得ず、三果まで修行せねば断除できず、因縁あれば必ず現行します。ただその現れ方に軽重があるのみです。随眠煩悩とは煩悩の習気が識心に眠り潜み、発見し難い状態を指します。この習気は初地菩薩より断じ始め、凡夫や阿羅漢たちには未だ断ずる力がありません。煩悩現行が甚だしい場合は、禅定を多く修め、無我の理を深く思惟すべきです。自ら発見できずに降伏を望むならば、人々の中で自らを鍛錬し、他人の指摘を虚心に受け入れ、善く随順すべきです。他人の指摘に瞋恚を起こし悪行をなす傾向あれば、人里離れるが宜しい。そうでなければ、人々の中で自らの身口意の行いを観察し、他人の忠告を謙虚に聞き入れるべきです。
煩悩を降伏させ断ずることは、全て縁に遇い境に対する中で煩悩の現起を発見し、回光返照して即座に断ち切ることにあります。人々から遠ざかれば煩悩は現前し難く、発見できぬため煩悩は心中に潜み、断除の因縁を得ません。他の仏国土に至れば全て順縁ばかりで、煩悩現起の機会なく、断除は困難となり修行は遅滞します。生きることは安楽であれど、道業の進歩は甚だ緩慢となるでしょう。
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