衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年09月22日    土曜日     第2開示 合計842開示

意根は唯識修証の核心

唯識の修証において、意根は核心である。如来蔵は誰の指導も必要とせず忽然と変化することはないので、意根に心を用いるしかなく、意根を変えれば、人は変わり、凡夫から果地の仏へと至る。意根を変えることによってのみ、一切の法を変えることができるのである。  

すべての無明は意根の中にある。意根の無明を破除すれば成仏し、意根を変えれば種子が変わり、種子が変われば成仏する。意識の無明はすべて意根から来るものであり、意根に依ってはじめて意識と意識の無明があるのであり、意識と意識の無明は容易に断除できるものであって、決して難事ではない。難しいのは意根なのである。それゆえ、意根の心所が意識よりそれほど少ないはずはなく、意識の心所法とほぼ同じであるべきである。禅定力と観察力がともに甚だ不足していれば、意根を証得することはできず、まして意根の心所法の運行を観察することなどできない。意根がいかなる法においてもどのような運行状態にあるのかを知らず証しないので、意根の種々の心行を軽々に否認し、あえてそれを意識の心行だと言い張るのである。

意根が法を証しなければ、無明を破除することはできず、意識の無明を破除しても何の役にも立たず、何も変えることはできない。今から見れば、意識上でいかに工夫しても無駄であり、一切の法の修証は必ず意根に触れなければ、根本問題を解決することはできない。この思路をはっきりと理解すれば、仏法の修証について言うべきことはもう何もないであろう。

——生如法師の開示
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意識を無念にして意根で参究するにはどうすればよいか

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