全ての財産は第八識のコンピューターに存在し、意根が働かなければ財産は顕現しません。意根が財産を取得しようとし、三界の世間法を求め、仏陀になろうとする時、第八識は一切の財産を運び出し、意根が享受するために供給します。しかし意根は六識と五陰身を通じて享受せねばなりません。意根は五陰身と六識を自己と見なし、自らが用いる道具とします。まるで身体の手足が身体のために使われるように。一切の法は意根のために用いられ、第八識は用いません。意根が一切の法に執着し、一切の法を必要とするのです。意根こそが最大の「我」であり、この意根が自己を「我」と見做さず、五陰身と六識を「我」や「我のもの」とせず、一切の法を「我」や「我のもの」としなければ、万事好都合となります。我執と法執が断尽され、仏陀となるには余裕が生まれるのです。
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