心に煩悩が生じたとき、我々は静かにそれを観察し、その現れ出る源を探求しなければなりません。何によってこの煩悩が現れたのか、その原因を分析し、その原因を解決すべきです。心を継続してその原因に思索を巡らせ、その原因が本当に煩悩を生じさせる価値があるのか、これらの煩悩が引き起こす結果は何か、どれだけの問題を解決できるかを考察します。さらに、これまで成長過程で生じた数多の煩悩がどのように解決され、消滅し、最終的にどうなったかを回想しましょう。過去世における無量劫の煩悩と苦悩の量を思惟し、それらが全て我々の業報であり、報い終われば過ぎ去るものであることを悟ります。今生の煩悩も同様に、いずれ過ぎ去るものですから、正しく認識し心の結び目を解き、道理に適った解決を図るべきです。
我々仏教徒は皆菩薩であると常に思惟すべきです。菩薩の務めは広く菩薩道を実践することにあり、自己中心的な煩悩に沈溺してはなりません。心の度量を広げ、未来を見据えなければなりません。我々の未来は無量劫にわたり、十方諸仏の国土で菩薩道を広め、無量の衆生を救済することにあります。菩薩の心には個人の貪瞋痴の煩悩があってはならず、仏法のより高い証得を求める上煩悩と、如何に衆生を教化すべきかという煩悩、如何に正法を永続的に伝えるかという煩悩のみが存在すべきです。未来世の菩薩行を常に念じるならば、眼前の些細な煩悩に縛られることなく、心の度量を広げ、心を開放できるのです。未来を見据えることは、極めて重要なことです!
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