衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年12月12日    水曜日     第2開示 合計1094開示

性の障りと煩悩習気とは何ですか

性障とは心性における煩悩であり、貪・瞋・癡に相応して自らの道業を妨げるものである。煩悩習気とは、意根が無始劫以来積み重ねてきた慣性的な作用である。四果の阿羅漢は貪瞋癡の煩悩の現行を断じることができても、習気の慣性を断つことはできない。そのため時として習性が無意識に発動することはあるが、過ぎ去るのは非常に速く、心に痕跡を留めず、長く怒り続けたり恨みを抱いたりすることはない。

凡夫は煩悩をすべて現行させてしまう。具体的な表れとして、貪性の行為造作、瞋恚の行為造作、愚痴の行為造作があり、かつ内心の貪瞋癡という煩悩性が直接に体現され流露されるのである。習気はちょうど自動車がブレーキをかけた後、慣性の作用でなおも少し距離を走り続けるようなもので、すぐに停止するわけではない。しかしこの力は比較的小さく、この走行距離が初地の菩薩から八地の菩薩までの修行過程に相当する。初地以前はすべて煩悩の現行であり、煩悩は断尽されていない。三果以前、初禅定に至っていない段階では、貪瞋癡の煩悩は抑制されているだけで、まったく断たれておらず、初禅以降になって初めて次第に煩悩を断ち始めるのである。

明心見性も果位も証得していない者は、たとえ四禅八定を修得しても煩悩を断つことはできず、単に抑制しているに過ぎない。将来、禅定が退失した時には、あらゆる煩悩が再び現行するのである。したがって、果位を証得し明心見性する功徳は非常に大きく、衆生が将来煩悩を断ち生死輪廻の苦しみから解脱する能力を得て、世々にわたって自在であることを可能にするのである。

——生如法師の開示
前へ前へ

菩薩の使命と煩悩

次へ 次へ

軽慢な心の果報

ページトップへ戻る