心が常にさまざまな境界に随って動揺し、境界に随って転ずるのであれば、止(サマタ)ができず、止がなければ観(ヴィパッサナー)もできません。戒律は非を防ぎ悪を止め、心の散乱を防ぐものであり、煩悩を調伏するために用いられるものです。煩悩を圧伏した後は、心が乱れ動くことがなく、境界が現れても心の攀縁が少なくなり、定を修めやすくなります。内心が衣食住にこだわり、愛好や願望が多く、気にかかる人や物事が多ければ、心は乱麻のようになり、どうして止められましょうか。愛好や興味を減らし、心中の所縁を減らせば、心はいくらか止まりやすくなります。周囲のすべての人や物事に対して、できるだけ興味を持たず、こだわらず、心の攀縁を少なくし、心を内に収め、外へ散らさなければ、必ず定が現れます。
人の中で愛好や興味が多く、人の世の事柄すべてに攀縁し、時々処処で自分を表現しようとし、内心に常に「我」が現れていては、心は寂止を得ることはできません。命終の時に初めて気づくでしょうが、この一生は実のところ何一つ収穫がなく、徒労無益であったと。だから今こそ、早く振り返り、内心の宝蔵を多く開発して、外へ貪り求めて心を乱さないことです。人生には必ず一得一失があり、自分でよく算段して、何を得ることが最大の利益なのかを見極めなければ、後世に頼りになる保障を得ることはできません。
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