意識は如何にして意根を薫習すべきか。意識は一切の事理に対し、理にかなった意を起こし、理にかなった思惟を善く思惟すべし。これと同時に意根が正理を理解するに至らしめ、意根が徐々に正理と相応するようになる。これを意根の薫習と申す。意識は必ず思惟しなければならない。思惟しなければ意根を薫染することはできず、意識が常に何らかの理を思惟し、意根を随順せしめることにより、意根が薫習を受けて新たな慣性作用を形成するに至れば、旧来の不良なる習性は改められるのである。
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