衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年12月14日    金曜日     第1開示 合計1097開示

我執断ちと法執断ち

我執(がしゅう)とは、五蘊(ごうん)の自我に対する執着(しゅうじゃく)を断ち切ることで解脱(げだつ)を得ます。五蘊に束縛(そくばく)されず、十八界(じゅうはっかい)に束縛されず、三界(さんがい)世間のいかなる法(ほう)にも束縛されず、智慧(ちえ)をもって三界を出離(しゅつり)する。これが四果の阿羅漢(あらかん)の境地(きょうち)です。彼らは我執を断った後、もはや五蘊の自我を執着せず、寿命が尽きれば自らを滅して無余涅槃(むよねはん)に入ります。

法執(ほうしゅう)は、法我執(ほうがしゅう)とも呼ばれ、蘊・処・界(うん・しょ・かい)が和合(わごう)して派生(はせい)する一切(いっさい)の法の中に「我」が存在し「我のもの」であると執着することです。地上の菩薩(ぼさつ)は一分(いちぶ)の無生法忍(むしょうほうにん)を修めれば、一分の法無我(ほうむが)を証(しょう)し、一分の法執を断ちます。地上の菩薩は惑(わく)を留(とど)めて生(しょう)を潤(うるお)すため、五蘊身(ごうんしん)を保有(ほゆう)し、意図的に我執を断ち尽くさず、法執を断ち始めます。蘊・処・界が和合して生じる一切の法の中に「我」も「我のもの」もないことを証得(しょうとく)し、法執を断じ尽くして円満(えんまん)に仏(ぶつ)となります。

——生如法師の開示
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意根が無間に作意して仏法に縁する

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前念は已に断たれ、後念は未だ生ぜず。中間の状態とは何か?

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