明心見性とは、如来蔵というこの心を明らかにし、如来蔵の自性清浄心を証得し、如来蔵性を見ることであります。これこそが仏性を見ることです。これは妄心が真心を見ることであり、妄心には常に無明があるため、法界の実相が何であるかを知らず、五陰世間を真実と見なし、我と我所としてしまうが故に我執と法執が生じます。如来蔵という法界の実相を証得した後、一切の法が如来蔵から変現し現れたものであり、真実ではないことを悟り、次第に我執と法執を断じ、無始の無明および塵沙惑を断尽し、一切種智となるのであります。
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