衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年08月10日    金曜日     第1開示 合計784開示

修行によって煩悩習気と因縁果報を転じる

問:私たちが今経験している全てのことは、最善の安排であり、必然的に起こるべきことで、偶然の要素はないのでしょうか?私は自分で多くの行為を制御できないことで自責の念に苦しんでおります。

答:行為は意根が主導権を握って支配しております。意根の煩悩の汚れが浄化されず制御されていない限り、身・口・意の全ての行為は意根の煩悩習気によって支配されます。意識が自らの身口意行を制御しようとしても叶わず、そのため自分が道理に適わない身口意を見る度に恥じ入り自責するのです。実はこれは意根を責めているのであり、意識がこれが意根の問題であると理解していないだけです。もしこれが意識自体の問題であれば、意識が悟れば即座に改めることができ、難しいことではありません。しかし意根の問題に対しては、意識は時に手の施しようがなく感じ、ひたすら教法を学び道理を明らかにし、巧みな方法で意根を説得し浄化させることで、意根の煩悩習気は徐々に収まってまいります。

私たちが今遭遇している全てのことは、その多くが避けがたく受け入れざるを得ない、自らの因縁果報であり、逃れることも選ぶこともできず、受動的に受け入れる必要があります。最善の安排とは仏様のような安排、仏様のような果報と境遇であります。しかし私たちの境遇や出来事の中にも、偶然の要素や突発的な事件が存在し、それによって能動的・受動的に因果を変えることが可能です。修行がある程度まで進めば、因果を制御し変化させる能力が備わり、その時こそ心身ともに自在の境地が開けるのであります。

——生如法師の開示
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瞋恚という煩悩は、無始の無明か、それとも有始の無明か

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第八識の本体は自ら参究し自ら悟るのみ

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