例えば、逆上して取り乱すような心の働きは、完全に意根(マナス)が演出したものであり、身・口・意の三業は全て意根の指令に従います。意根が激しく動揺すれば、初めて破壊的な事態が生じるのです。例えば、恥ずかしさの余り怒り出すような行為においても、意根が羞恥心に苛まれた後、六識が怒りの感情を表出させるのです。
制御できず、自発的でない心の働きは全て意根に属します。制御しようとする識別作用は意識(マノヴィジュニャーナ)であり、意識は理性を備え道理を弁えます。意根の理性が比較的弱い時、意識によって調節を図らねばなりません。一旦意識が意根を制御できなくなると、洪水が堤防を決壊させるように、手が付けられない事態に陥ります。時に激高して怒りを爆発させるような際、意識は反応する暇もなく、激情が収まって初めて自らの状態を認識します。ある者は激怒の余り深く考える間もなく人を殺害し、行為を終えて初めて後悔と恐怖に襲われ、事の重大さを悟るのです。殺害前には一瞬の思考もなく、ただ意根の恣意的な働きに従ったのです。意根は論理を超えて極めて強勢に作用し、この時業力が顕現するのです。
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