如来蔵が顕現し得る法において、意根は如来蔵に依って見、了別することができ、これを意根の黙容と称する。意根が了別した後、もし執着が生じれば、さらに思心所を起こし、如来蔵はこれに依って再び根身器界あるいは六識を顕現する。如来蔵が顕現する一切の法は、全て意根が背後で推進しており、業種と業力の推進を含む。意根は業種と業力と相応し、心行が業種に符合する。業種は全てこれ(意根)が指図して造作したものである。故に一切の法は究竟において意根の推進によって現出する。
色身もまた意根によって掌握・制御されるもので、意根がどれほどの制御能力を有するかによる。色身の寿命は一方で業種の問題に関わり、他方で禅定と福徳の問題に及ぶ。禅定を得た時、意根の心力は極めて大きく、意識の心力もまた大いとなる。これによって身心世界を改変し得る。禅定には定福も具わり、業種をも改変し得る。定力が強ければ、意根と意識の色身制御能力は増強され、意根は随意に色身を制御し、死を思えば即時に死し、生きんとすれば再び数十年、数百年、千年を生き、寿命は意根の言うがままとなる。業種が改変され、福徳も修め出された故に、意根は暫定的な生死の問題に対し主導権を掌握し得るのである。
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