衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月15日    土曜日     第4 回の開示 合計1101回の開示

意根が思考参究しているのかをどのように判断すればよいでしょうか

師父、お尋ねしますが、疑情がすでに生じていると感じる時、脳内ではすでに問題を一点に集約して「死屍を引きずるのは誰か」といった問題を意根に委ねていますが、意根が思考しているかどうか分かりません。例えば路上で他人が歩くのを見ると、意識はどうしても「空っぽの殻がどうして歩けるのか」と考えてしまいます。この意識の知性が意根の心を分散させ、意根が全心で観行できなくなるのではないでしょうか。しかし意識に考えさせないと、心に何もない空虚な感じがして、意根が今何を考えているのか全く分からなくなります。どうすればよいのでしょうか。

答:貴方が心に常にこの話頭を感じているのは、まさに意根が参究を続けている証です。思考の注意力が常に話頭に集中し、明らかな思惟分析はないものの、振り払おうとしても振り払えない状態、それが意根の参究です。たとえ意識に簡単な念があっても、意根は依然として疑情を抱き、密かに話頭を量り続けています。意識の念が意根に影響を及ぼすのは当然ですが、時には致し方ないことです。

——生如法師の開示
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