師父、お尋ねします。疑情がすでに湧き上がっていると感じる時、頭の中ではすでに問題を一つの点に集約しています。例えば「死屍を引きずっているのは誰か」というような問題を意根に委ねているのですが、意根が思考しているかどうかが分かりません。どうすればよいでしょうか。例えば、道で他人が歩いているのを見ると、意識はどうしても「一つの空っぽの殻がどうして歩けるのだろうか」というような疑問を考えてしまいます。この意識の知性が意根の心を分散させ、意根が全力で観行できなくなることはないでしょうか。しかし、意識に問題を考えさせないと、心には何もなく空っぽのように感じられ、意根が今何を考えているのか全く分かりません。どうすればよいでしょうか?
答:あなたが心にいつもこの話頭を感じているのは、すなわち意根が思考し参究しているのです。思考の注意力が常に話頭にあるということで、明らかな思惟・分析・考慮はありませんが、振り払おうとしても振り払えない。それがすなわち意根が参究している状態です。たとえ意識に簡単な念があっても、意根には依然として疑情があり、密かに話頭を思量しています。意識の念が意根に影響を与えるのは当然です。どうしようもない時もあるでしょう!
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