衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年07月16日    月曜日     第1開示 合計745開示

なぜ識が意根を染めるのですか

ただ末那識が良いと知れば、それを行い、良くないと知れば行わない。しかし意識は善悪を知るが、末那識とは同期せず、末那識は意識の判断を顧みず、自らの観念に従って行動する。末那識は強固であり、良しと認めれば良しとして実行し、良くないと認めれば如何に優れていても行わない。これが末那識の慣性的習性作用である。

意識は如何にして末那識を教化し転換させるか。時に意識の力が強く末那識への制御力が大きければ、末那識を操作でき、末那識は意識の考えに従わざるを得ない。しかし束縛を脱する時は必ず来るため、常に従順ではいられない。故に意識は理をもって末那識を従わせねばならず、常に強制的手段を取ってはならない。理をもって末那識を説得する過程を、薫染教化あるいは教育改造と呼ぶ。

末那識が躊躇する時、その力は弱まり、意識の思考分析に耳を傾け、意識の意見に従う。これを理性的行為という。道理に悖ると知りつつ敢えて行うのは、末那識の非理性的行為である。意識の忠告に従うのは意識の理性が優勢な状態であり、明知犯行は末那識の無明習気が優勢な状態である。

——生如法師の開示
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無明から明へと転じる意根の過程

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