衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年07月16日    月曜日     第2 回の開示 合計746回の開示

無明から明へと転じる意根の過程

意根が知ることは証得することであり、意根が証得すれば如何に為すべきかを知る。正に意根が知らざる故に無明と称し、意根の不知を打破することを明と謂う。意根が明らかになれば、明らかな行為を為し、再び曖昧な事を行わなくなる。

意識が如何なることを知っても無益である。何故なら意根が知らざれば、意根は意識の知に従って行動できず、これを「言うは易く行うは難し」と謂う。意識は喫煙が健康に有害であると知っていても、意根は知らざる故に吸い続けることを決意する。意識は悪業を造れば悪果を受けると知っていても、意根は知らざる故に悪業を造り続ける。意識は如来蔵の存在を知っていても、意根が知らざる故に如来蔵を求めんと決意し、昼夜を分かたず寝食を忘れて探究するのである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

なぜ識が意根を染めるのですか

次の記事 次の記事

意根の疑い

ページのトップへ戻る