いわゆる外道法とは、如来蔵に属さない法を指し、如来蔵の心を離れて説かれる法を外道法と申します。多くの外道法は仏法修行者にとって大いに有用なものであるため、有益な外道法を排斥すべきではありません。医者が病人を治療するのも外道の方法であり、我々は外道の方法を離れ、如来蔵法のみで一切の事を解決できるでしょうか。明らかに不可能です。外道が食事をすれば我々も食べねばならず、外道が地球上に住めば我々も地球を離れられず、外道が空気を呼吸すれば我々も同じ空気を共に呼吸します。我々は無始劫以来、外道法を離れたことがなく、仏法を学んだ後も外道と同じ法を修する必要があります。外道は如来蔵法と五蘊無我の法を除き、他の法は全て備わっており、我々もまた具足せねばなりません。例えば外道の出家心や解脱心、禅定、そして色身の問題を解決する様々な方法は、大いに学ぶ価値があり、我々に有用である限り活用すべきです。実を言えば、全ての外道法は如来蔵法であり、医者が病人を治すのも如来蔵が病を治したのであり、本質的には依然として如来蔵法です。あらゆる人と法は如来蔵から離れられず、皆如来蔵より生じたものであり、その本質は全て如来蔵であります。
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