衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年12月16日    日曜日     第5開示 合計1106開示

如何にして情執を軽減し、自らの心の煩悩と苦しみから解脱するか

人がもし情執(じょうしゅう)に深く囚われているならば、心の奥底ではきっと葛藤が絶えず、苦悩が重なっていることでしょう。では、どうすれば情執を軽減できるでしょうか。最も良い方法は、世の無常(むじょう)を観察し、それぞれの家庭の無常を観察し、それぞれの家庭の結末を観察することです。それぞれの人の無常を観察し、それぞれの人の結末を観察することです。自他の心の無常な変化を観察し、これらの世俗の事柄に何か執着すべきものがあるのかをよく考え、さらに自分が生々世世(しょうじょうせせ)に抱いてきた全ての感情が、最終的にどのような結末を迎えたのかを考えてみることです。衆生が無量劫(むりょうこう)もの間、様々な感情に浸ってきた結果、いったい何を得たのかを観察し、それぞれの人が前世から何を持ってきたのか、今世で死んだ後にまた何を持ち去ることができるのかを観察することです。何が自分にとって永遠に変わらないものなのか、何が自分にとって最も頼りになるものなのか、何が永遠に自分に属するものなのかを観察することです。

さらに、自分が無量劫にわたる父母、伴侶、子供、親友、そして全ての親族縁者を観察し、考えてみましょう。彼らは今どこにいるのか、あの感情はどこへ消えたのか。なぜ自分は生々世世、輪廻(りんね)して苦しみ続けるのか。それは全て、自他への情に執着するがゆえに、自らの心を縛りつけてしまい、六道輪廻(ろくどうりんね)から抜け出せないからです。衆生は何に対しても貪り生じ貪り(とんりしょうじとんり)、生死を繰り返し輪廻します。情が根本であり、愛が根本なのです。これを知ったならば、もはや生死輪廻の苦しみの根源を追い求めるべきではなく、貪りと染汚(せんの)の泥沼から徐々に足を抜き、次第に自由と解脱(げだつ)へと向かうべきなのです。

——生如法師の開示
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