例えば、皆様がスマートフォンの画面に表示された文字をご覧になる際、その意味を心で理解しつつ、指先で画面を操作してページをめくり、どの位置でスクロールすべきかを認識されます。さらに心に疑問が生じれば、思わず文字を打ち込んで質問されることでしょう。目だけが文字を見ているはずなのに、他の五根も連動して一連の活動を生み出しています。これは一つの根が動けば、六根すべてが連動し得ることを示しております。
なぜ六根全てが活動し得るのでしょうか。その背後には必ず共通の本体が存在し、六根を統括しているからであります。六根はそれぞれ異なるように見えながら、その本質は一つのものであり、何ら差異はありません。故に修行が一定の境地に至れば、六根は互いに通じ合い、区別も障壁もなくなり得るのです。
世尊は『楞厳経』第五巻において「(六根は)畢竟同の中に、畢竟異を生ず」と説かれました。これは六根の本体が元来一つであり差異がないものの、衆生が無始劫より自性を守らず外を求め続けたため、一つの根から六つの異なる根が派生したことを意味します。もし修行によって六根の束縛を解き去ることができれば、最後には根というものも消え去り、全てが真如の自性のみとなり、これ以外に何ものも存在しなくなります。かくして衆生は本来の境地に安住し、自性に回帰して輪廻を脱するのであります。
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