衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年06月30日    土曜日     第5 回の開示 合計697回の開示

悟り後の修行の内容

禅宗を修行する者が禅によって心を明らかに開悟した後、更に修行を継続することを「悟後の修行」と申します。悟前には真実の心である如来蔵を証得しておらず、智慧が発現していないため真の修行ができませんが、悟後には如来蔵を証得し智慧が生起する故に、自らが修めるべき内容を知るのです。悟後に門をくぐると、修行すべき仏法の内容が極めて膨大であることに気付き、世俗に精力を費やすことを厭い、時を無駄にしたくないと焦燥を覚え、閉関修行を選ぶ者も現れます。この段階では自らの修行が誤りなき道を進み、法義に対する鑑識眼も備わるため、精進すれば道業は必ず向上します。

悟後にいかなる法を修めるか。禅定の修行はその一つであり、四禅八定を修めて定力と道力を強化します。初禅の定を得れば煩悩を断じ、心解脱を得て禅宗三関を突破する力を具え、如来の家に入り真の仏子となります。悟後の諸観行は悉く禅定を離れず、然らずんば三関を突破できず、深遠なる仏法を証得すること叶いません。更に悟後には経典を読み、三蔵十二部を漸次に通達すべきです。如来蔵を証得すれば、従前に比し経典を容易に理解し得、般若智慧を増長させ後得智を発起できるからです。悟後は十住位・十行位・十回向位を修め、禅宗三関を突破し、或いは初地に入る。これら皆悟後の修行の要諦であります。

悟後の修法は実に浩瀚にして、禅宗の祖師方は概ね悟後に至って閉関を選びます。悟前には諸方の道場を巡り善知識を求め、あらゆる手段を尽くして開悟を希求するのみで、閉関を選ばざるは、仏法の源流を知らず、参禅を解せざれば閉関も無益、徒らに時を費やすに過ぎぬからです。

悟後に閉関を選ぶ所以は、仏法の総相智を獲得し、如来蔵を観察参究する智慧を具え、修行が偏頗に陥らぬためです。閉関静修の中では如来蔵の諸法における働きを観察し、深遠なる別相智を得ると共に、経典を学び智慧を向上せしめます。悟後の修行内容は初関を突破しても尚二関あり、禅宗三関を経る。これら皆悟後の静心修行を要し、特に大乗経典三蔵十二部は閉関による静修を必要とし、専心修行の時を設くるにより世俗法の妨げを避け得ます。

六祖大師は開悟後、学問なきが故に三蔵十二部を修学せず、禅定修行を選びました。猟師の隊中に十五年を禅定に励み、同時に定中において如来蔵と五陰の和合作用を観行し、般若智慧を深めました。十五年の修行を経て禅定を成就し神通を発現せし時、弘法の因緣熟したるを覚り、猟師隊を出でられました。

六祖大師は悟後十五年を経て壇経を説きましたが、悟後の保任を説くこと決してなし。その座禅は意識心の念起を抑え心を清浄に保つものにあらず、むしろ真心本来清浄なるを知り、敢えて清浄を加うるが如き蛇足を排したからです。

況や真心は本来そのままにて外力をもって改変不可。改変可能は妄心のみ。六祖大師は座禅入定にて如来蔵を保任すべきことを全く説かれず、如来蔵は保任を要せざる故です。開悟如来蔵を証得した後は、真心如来蔵への確信は決して退転せず、何を保任せんや。必要これ無し。六祖の修行内容は四禅八定を修し、如来蔵の作用を観察して別相智を具え、禅宗三関を突破するに在り。他の禅宗祖師方の修行内容は各々相違ありと雖も、大旨は深遠なる智慧の獲得を目指すものと申せましょう。

——生如法師の開示
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