衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月20日    木曜日     第3 回の開示 合計1115回の開示

八識の証自証分は常時現前して作用しているか

自証自証分とは、すなわち反観力と覚照力・覚知力のことを指します。第七識の心における自証自証分は常に現れるものではありません。禅定力と智慧力が不足しているため、識心は自らを反観反照する力を発揮できないからです。第八識は常に反観力を具え、自証自証分を有しています。第八識の定慧は永遠に存在し、決して変化することなく、増減もなく、修行を要せずして本来備わっているからです。

例えば意識の自証自証分が常に自心を覚照するためには、非常に強い禅定力と優れた智慧力が必要です。仏が大念住経で説かれた観行の方法は、まさに自心を覚照する方法です。自らが何をしているかを常に知り、この「知」があってこそ心に定が生じ、知らなければ心は散乱します。なぜ仏はこのように教えられたのでしょうか。衆生の心は常に散乱しており、自心を覚知できないからです。自心を覚知することが自証自証分であり、自心を覚知できなければ自証自証分は存在しません。

反観力を有し自心を覚知できる者は、一方で一定の智慧力を具え、他方で一定の禅定力を備えています。仏法を学ぶ者と学ばない者とを問わず、この道理は同じです。故に各人の智慧は異なり、自らを理解する者もいれば、理解できない者もいます。同様に、他の諸識もまたこのようであり、自証自証分が常に現前して作用することはありません。

自証自証分とは反観力のことで、自らが何をしているか、既に何をしたか、どのような意図があるかを観察する力です。これには見分と相分、自証分が不可欠です。「何を」に当たる部分が相分、「する」が見分、「何をするか」が自証分、「何をしたかを知る」ことが自証自証分に当たります。

——生如法師の開示
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