我々が仏法を学び、自性如来蔵を証得し、心を明らかにして本性を見る真の菩薩となるためには、菩薩が修める法を修めなければなりません。では菩薩はどのような法を修めるのでしょうか。菩薩は六波羅蜜と四摂法を修めます。六波羅蜜とは布施波羅蜜・持戒波羅蜜・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・禅定波羅蜜・般若波羅蜜を指し、四摂法とは布施・愛語・利行・同事をいいます。菩薩はまず布施波羅蜜を修めなければなりません。布施は一方で衆生と善縁を結び、衆生に信頼され、共に仏道を修行する者となり、やがて教化の弟子となります。こうして縁ある衆生を導きつつ菩薩道を歩み続け、成仏の時を迎えれば、これらの衆生は皆仏国土において精進し仏法を護持するのです。故に布施は重要です。また布施は福徳を迅速に積むことができ、福徳が具わって初めて道業が増進し、最終的に自性を明らかにし仏門に入ることができるのです。
六波羅蜜の第二は持戒です。戒を保つ心は清浄となり、戒を犯さなければ悪業の果報を受けず、悪業による妨げもなく道業が進み、生死輪廻の苦から解脱します。戒によって心が清浄となるからこそ禅定が生じ、禅定があって初めて観行し、坐禅し、如来蔵を証得できるのです。もし菩薩がまだ戒を保てないなら、その煩悩障礙がまだ重く、真の菩薩の基準から程遠いことを示します。真の菩薩となるには必ず戒を保たねばなりません。初めは厳格に戒律を守り、次第に自発的に戒を保ち、遂には持すべき戒のない境地に至ります。心が完全に清浄となり、戒を犯す心行がなく、全ての行為が自性清浄心と調和する時、意識的に戒を保つ必要はなくなり、常に身口意の行いが戒律に適い、仏法に叶うのです。これが持而不持の持戒です。
第三の忍辱波羅蜜は、忍辱行によって心を清浄にし、自らの煩悩障礙を調伏し、衆生と善縁を結び悪縁を解消します。衆生がもたらす辱めの境遇に対し、忍びて報いず、瞋心を起こさなければ、怨讐を解消し、自らの煩悩障礙も調伏され、真の菩薩心性と相応します。また未曾有の法に忍び、甚深の法に忍び、未証の法に忍ぶことで智慧が向上し、道業が進み、速やかに深遠な法を証得できるのです。
第四の精進波羅蜜において、菩薩は仏法修行に懈怠なく、あらゆる面で精進しなければなりません。布施において、福徳を修し衆生と善縁を結ぶことに、持戒に、忍辱に、禅定に、般若智慧の修得に、常に精進を続けることで善法が速やかに増長します。これが菩薩第四の精進波羅蜜の修行です。
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