諸々の悪をなさず、多くの善を行い、自らの心を浄めることが、すべての仏の教えである。悪をなすとなさざるは意根が主となりて決定し、同様に、善をなすとなさざるもまた意根が主となりて決定する。もしすべての悪をなさなくなれば、意根は必ずすべての煩悩を断ち、またすべての煩悩の習気をも断じる。この時、最低でも八地菩薩の境地に至り、分段生死を了えるのである。
多くの善を奉行するには、菩薩の清浄なる大願を広く発するのみならず、広くかつ着実に実践せねばならない。衆生を利益する事業に縁あれば必ず行い、個人の利益を少しも顧みないとき、初めて個人は大いなる利益を得る。己を捨てて他者のためになすことは、実は自らが利益を得ることであり、最終的には仏となるのである。
自らの心を浄めることは、最初は意識が自らの心を清浄にすることができるが、往々にして意根の汚れを受ける。意識が自らの心を浄めてもまだ究竟ではないならば、意根を薫染し、意根の心を浄める必要がある。意根の心が一旦清浄になれば、すべての身口意の行いは必ず清浄となり、染汚の種子はすべて清浄の種子に置き換わる。こうして無明を断尽し、仏道を成就するのである。以上が諸仏の教えであり、我らは諸仏の教えに随順し、信受奉行することを願う!
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