戒律を守る面において、修行者が身と口で業行を犯さないことは既に立派ですが、意業を守ることは非常に難しいものです。もし心が常に一つの正念に止まっていれば、邪念が現れる機会はなく、これこそが戒律を守るということです。正念とは何でしょうか。仏を念じ、法を念じ、聖賢僧を念じ、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を念ずることです。心を修める方法を深く理解すればするほど意業は減り、定力が強まれば意業も減ります。因果の理を理解すれば、心の警戒心が高まるのです。
戒律を守るには、まず道理を明らかにすることが最優先です。行為を無理に制御するのではなく、道理が明らかになれば意根が薫染を受け、意業は自然と現れなくなります。全ての修行において道理を明らかにすることが最も重要で、正見が自らの身口意の行いを導きます。次に深い禅定によって煩悩を抑え、最後に因縁と果報を識り達するのです。ある事柄の起因が別の事柄の結果を招くことを理解し、身口意の全ての業行が造作される瞬間、自らの如来蔵に全てが記録され、果報は必ず現実化することを悟れば、心の警戒心は自然と高まります。これら全てには段階があり、戒を受けて戒体を得た後は、戒体そのものに非を防ぎ悪を止める功徳作用が備わります。菩薩戒体はなおさらで、菩薩戒は心を戒めるものであり、完全に守り抜き犯戒しないためには一定の菩薩果位に至る必要があります。それ以前には軽重あるも犯すことを免れません。菩薩戒を受けることには極めて多くの利点があり、自らの警戒心が大きく増す上に護法善神の守護を得て、道業の進歩が急速に進むのです。
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