衆生无边誓願度
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日常法話

2018年06月17日    日曜日     第1開示 合計646開示

如来蔵はいかに業行を記録し業種を出力するか(七)

たとえば、私がある人と話をしているとき、その会話の中で、私の意根の心行が清浄 (viśuddha/pariśuddha) なのか染汚なのかは、すべて種子として如来蔵 (tathāgatagarbha) に蓄えられます。私の前六識が了別したすべての内容、すべての造作、すべての心行が、貪を帯びているのか、それとも瞋を帯びているのか、あるいは無記 (avyākṛta) で善でも悪でもない心行に属するのか、いずれも種子として如来蔵に蓄えられます。識の種子は刹那刹那に如来蔵へと戻っていくので、了別した内容も、すべての心行も、ことごとく如来蔵に蓄えられるのです。

この人との会話が終わると、出来事全体、過程全体が、一つも漏れなくすべて蓄えられ、最後に総括的な記憶として保存されます。私がこの人と話をした出来事全体の中で、具体的な心行の現れはどのようなものだったのか、それには時間、場所、心理的な現れ、顔の表情、どのような言葉を使ったのかなどが含まれます。あまりにも多くの過程の細部が、如来蔵によってすべて記憶され、蓄えられた後は業種となり、成熟すれば、果報が訪れます。もし蓄えられ方がより深いなら、いわゆるより深いというのは、六識がより用心し、七識がより用心し、より興味を抱くか、より憎むかということです。そうであれば、蓄えられた業行はより鮮明になり、より明白になり、業果はより成熟しやすくなります。

業縁が成熟したとき、如来蔵はこの業種を送り出します。再びこの人に会ったとき、私とこの人は以前からの関係があるので、対面したときの現れ方は以前とは違ったものになり、以前の心行を帯びて現れます。この業種が現行し、現行した後は身口意の現れ方が変わります。もともと憎悪の心理であったなら、この業種が送り出されると、この人に会うと嫌悪します。もともと好意であったなら、再びこの人に会うと、業種が送り出され、私の心は一種の好意の心理を帯び、この人を好きになり、心行が完全に現れ出ます。私がこの人と対面したときの身口意行は、以前に蓄えられた業種と関係があり、意根の心行と関係があるのです。如来蔵がこの業種を送り出すにあたって、意根はその中で一定の役割を果たしています。

——生如法師の開示
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