衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月23日    日曜日     第4 回の開示 合計1121回の開示

意根の反観力

意根の内省する力は、全ての衆生に備わっています。ただ、意識心には大智慧がなく、識を智に転じていない時には、観察することができません。一切の法は意根が全て知っていますが、意識の観察に頼らなければならず、意識が観察できなければ「知らない」状態となります。意根の知は意識が認識できないと、あたかも無用であるかのように思われます。

意根が知った後、事を成すには意識に依存しなければならず、意識が知らなければ事を成すことができません。故に、人は皆意識の知を以て知とし、意識が知らなければ自らを知らないとし、自ら知らなければ存在しないと言います。これが大多数の人の思考邏輯ですが、この論理は誤りです。衆生に大智慧がなければ、全ての誤りを認識できず、ましてや改正することなどできません。衆生が自らの誤りと無知を認識できず、自らが極めて多くの誤謬の中にあることを知らなければ、誤謬から抜け出す術がなく、眼前には永遠に霧が立ち込め、何もはっきり見えません。これが無明です。無明が重ければ重いほど、事実を見通す智慧を得ることが難しく、解脱することも一層困難になります。

——生如法師の開示
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