問:貴方が月を見る時、貴方の如来蔵は月の形象を現じます。見ない時、月は貴方にとって隠れます。心では空に掛かっていると知っていても、それはただ意識心の経験による知に過ぎません。このような理解で正しいでしょうか。
答:月を見ない時は、意根が見ることを望まないのです。如来蔵が意根のために変現する必要などどこにあるでしょう。変現したところで意根が興味を持たないなら、如来蔵が自ら恥をかくようなものでは?如来蔵は決して余計なことをせず、何もなければ静かにしています。とにかく彼は何にも興味を持ちません。心で月が空に掛かっていると知るのは、独頭意識の知なのです。
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