涅槃とは静寂な状態の顕現である
もし我々が涅槃を得たならば、三界の世間法は滅し、五蘊は滅し、十八界は滅し、身は滅し、心は滅し、感受は滅し、想念は滅し、身口意の行為造作は滅し、全てが滅する。ただ阿頼耶識のみが残り、生じず滅せず、清浄寂滅する。この状態を涅槃と呼ぶ。五蘊十八界が全て滅したこの状態そのものもまた空であり、生滅変異するものであって、永遠に不変のものではない。涅槃の境界もまた来る所なく去る所なく、涅槃に入る者もなく、涅槃から出る者もなく、作る者も受ける者も存在しない。
故に涅槃は真実の有ではなく、涅槃とは静寂な状態の顕現であり、あたかも世間の喧騒現象が実体なき如く、幻化されたものである。この状態もまた空であり、ただ阿頼耶識のみが空でなく、その他は全て空である。涅槃には相がなく、空の境界すらも空であり、阿頼耶識を離れてこの空があるのではない。
一切の法には作者もなく、受ける者も存在しない。四果阿羅漢を証して涅槃に入っても、四果を証した者もなく、涅槃に入った阿羅漢もなく、寂滅の楽を受ける阿羅漢も存在しない。誰が涅槃の寂滅楽を受けるのか?この者を見つけることはできるだろうか?涅槃には人もなく、阿羅漢も存在しない。もし存在するならば、それは涅槃ではない。阿羅漢の色身は滅し、識心は滅し、五蘊の作用は滅し、十八界の現象は滅する。それゆえ涅槃には阿羅漢もなく、寂滅楽を受ける者も存在しないのである。
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