問:師父様がおっしゃるには、座につく際にまず「南無本師釈迦牟尼仏」を三遍お唱えしなさいとのことですが、私がそうすると座禅に入る時も下座する時も自然にこの仏号が口をついて出ます。意識的に何遍も唱えようとしなくても、心が自然に念仏を続けてしまうのはどういうことでしょうか。
答:これは最も初歩的な念仏三昧の境地、すなわち禅定の状態です。念仏が一体となり、念ずるまでもなく自然に念仏が生じ、意根が自動的に仏号を唱え続ける状態です。意識の働きに頼らずとも、意根単独で、あるいは意識と共に念仏を続けることができます。意根単独で念仏する時は禅定の境地が深く、意識と共に念仏する時はその境地が浅くなります。これは仏力の加護による場合もありましょう。普通の人は心が散乱し信心の力が弱いため、このような念仏三昧の境地に至るのは容易ではありません。
ある人々は独頭意識で様々な仏の境地を見ることを念仏三昧と呼びますが、実際にはこれは感応現象であり念仏三昧ではありません。感応も善根の現れではありますが、念仏三昧とは区別されます。念仏三昧は比較的長く持続し、二三十分から数日間にわたり、仏号の声が心の中に自然に湧き起こり、余韻が絶え間なく続き、三日間梁に余音が響き渡るが如く、身心が軽やかで愉悅に満ちます。身体が空中に漂うような感覚や、高大で軽妙な感覚を得て、身体の重さを感じることなく障礙のない状態を体験する場合もあります。
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