現在観修している法に対し、専注し一心に雑念なくあることが正念であります。正念とは即ち、現在保持すべき一つの念い、現在の観境と一致する念い、現量の念いであります。例えば入息を観じる時、全ての注意力は入息にあり、始めに鼻の穴から息が入ってくる時から、息が丹田に至るまでの全過程を、専注一意に観じます。ただ客観的で純粋な観察であり、思惟分析推理想像などの意識活動はなく、ただ純粋に知るのみです。他の法には意を留めず、心を用いず、身体の覚受をも観じず、心念は覚受にではなく入息のみにあります。出息の時も同様で、出入息の全てがこの通りです。他のいかなる法を修める時もこの如く、これこそが正しく、正しき理に適った修行方法であります。心を専一にし、定慧を等しく保ち、偏ることなく、初めて道に入ることができるのです。
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