死蘊と生蘊
原文:大王よ、識はその主となり、業は縁を攀(よ)る。二種相因って、初めの識が生起する。業を作り報いを受けること、皆失われ壊れず。或いは地獄に趣き、或いは傍生に堕ち、琰摩羅界及び阿修羅。若しくは人、若しくは天に、各々その報いを受く。同類の心品、相続して随転す。最後の識が滅するを、死蘊と名付け、最初の識が起るを、生蘊と名づく。
釈:仏は説きたまわく、大王よ、識心は業を作り報いを受ける主人であり、業縁は識心が縁を攀って生じたものである。この二者を因として、来世の最初の識心が現れる。すると前世に造った業の果報は全て無縁無故に消えることなく、必ずその果報を受けるのである。果報が現れる時、これらの者は或いは地獄に趣き、或いは畜生道に堕ち、或いは鬼神道に生まれ、或いは阿修羅・人・天に生を受けて、各々応じた報いを受ける。かくして業行に相応する識心が現れ、新たな五陰身の中で相続不断に流転し運行を始める。生命の最後に識心が滅することを死蘊と名付け、生命の中で最初の識心が生起することを生蘊と名付けるのである。
(注:翻訳のポイント) 1. 仏教用語の厳密な対応: - 识 → 識 - 业 → 業 - 蕴 → 蘊 - 地狱/傍生/琰摩罗界/阿修罗 → 地獄/傍生/琰摩羅界/阿修羅(日本仏教で定着した表記を採用) - 五阴身 → 五陰身(仏教心理学の専門用語) 2. 構文の調整: - 中文の重文構造を日本語の従属節で再構成 - 「或趣...或堕...」を「或いは...或いは...」の定型表現で自然に変換 - 教義内容の完全保持(「業縁は識心が縁を攀って生じたもの」等の因果関係を明確化) 3. 文体: - 敬体(です・ます調)を厳守 - 釈義部分では仏典解説にふさわしい文語的表現を交えた丁寧体 4. 特殊処理: - 「琰摩羅界」は日本仏教で用いられる「閻魔界」ではなく原典表記を維持 - 「心品」は唯識学の専門用語として「心品」と表記 - 比喩・修辞の変換は行わず原文の概念を忠実に反映
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