衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年04月09日    金曜日     第1開示 合計3283開示

父子合集経講義(一九七)

一切の法は生滅し虚妄である

原文:大王よ。身識が生じる時、来るところなく、滅するに至るところなし。彼の縁が生じる時、来るところなく、滅するに至るところなし。彼の業が生じる時、来るところなく、滅するに至るところなし。大王よ、少しの法も、この世からあの世へ至ることはない。何となれば、自性空なるが故に。

このように了知せよ。初識は初識として空、自業は自業として空、身識は身識として空。もし滅すれば滅は空、もし生ずれば生は空。輪廻は輪廻として空、涅槃は涅槃として空。皆自性空にして、作者もなく、また受ける者もなし。もし業もし報いも、皆得べからず。ただ名相のみが、分別して顕わすのである。

釈:仏は説かれた:大王よ、身識が生じる時、来たる所なく、滅する時は去る所なし。業縁が生じる時も、来たる所なく去る所なく、業行が生じる時も同様に来たる所なく去る所なし。大王よ、一点の法もこの世からあの世へ至ることはできない。なぜか? 一切の法の自体性が空なる故である。

我々はこのように身識を了知すべきである。身識の自性が空であることを了知せよ。このように自身の識心が造作する業行を了知し、業行の自性が空であることを了知せよ。このように初識を了知し、初識の自性が空であることを了知せよ。このように一切の法がもし生ずれば、その生は空であり、一切の法がもし滅すれば、その滅は空であることを了知せよ。同時に業行の造作と流転には作者もなく受ける者もなく、一切の法はただ仮相と名義上の分別が顕わしているに過ぎないことを了知せねばならない。

——生如法師の開示
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