第三に、如来蔵が衆生の五陰身を了別する際、五陰身が現在どのような状態にあるか、次に五陰身がどのように変化すべきか(より良くなるか悪くなるか、どの部分が改善され、どの部分が悪化すべきか)、どのような四大種子を送り出すべきか、それらが調和しているかどうかについて、如来蔵は業種に依って全てを知ることができる。衆生には因縁果報があり、いつどのような病状が現れ、その病がいつ消滅するか、四大種子をどのように送り出して色身の状態を変化させ、どれだけ変化させ、さらにどのように変化させるべきか、あるいは変化が必要かどうかを、如来蔵は全て知っている。この一連の運行の中で、自らの行為造作を如来蔵自らが知ることができる。これが如来蔵の反観力、すなわち証自証分である。この反観力、この証自証分があるからこそ、如来蔵は次の段階の運行を継続でき、過去の運行を繰り返すことなく、以前の行為造作を反復せず、五本の指を現した後に再び五本あるいはそれ以上の指を現すこともなく、頭を一つ現した後にもう一度頭を現すこともなく、眼根を半分現したまま次の半分を現さないこともない。これらの証自証分は六塵に対する分別性にあるのではなく、衆生の業種を分別し、衆生の根身の運作を分別することにある。衆生の五陰身を維持するため、五陰身の状況を全て掌握しており、四大種子を送り出して五陰身を維持する際、どのような四大種子をどれだけ送り出し、さらにどのように送り出すべきかを如来蔵は知っている。自らがある法において運行した程度を如来蔵は明らかに知っているため、自証分と証自証分を具えているのである。
第四に、器世間を了別する際、如来蔵は業種を了別できるが故に、宇宙の器世間が如何に変化すべきかを知る。四大種子を送り出して器世間を維持・変化させるにあたり、どの程度まで維持し、器世間にどのような変化が生じ、どこまで変化すべきか、いつどのような災害が現れ、その災害がいつ消滅するかを如来蔵は全て知っている。この過程において自らの運行状況を掌握・了知しているため、次の段階で如何に運行すべきかを知り、運行を重複させることなく、欠落することもない。如来蔵がこれらの知を具えていることにより、自証分と証自証分を有するのである。業種を了別し五陰身を了別できる如来蔵は、五陰身が次の瞬間、次の一分、次の一秒に色身が如何に変化すべきかを全て知っている。業種を了別できるが故に、この時いかなる業種を現行すべきかを知り、業種現行後には五陰身の四大種子が変化し、身体がそれに伴って変化し、業種と一致するのである。五陰身が絶え間なく微細に変化し続けられるのは、まさに如来蔵が業種を了別する功徳によって引き出され、業種に基づいて四大種子を送り出すためである。四大種子が刻一刻と変化する中で、それらが調和しているかどうか、送り出す比率はどの程度か、これらを如来蔵は全て知っている。自らがこれらの変化をどれだけ達成し、どの程度に至り、さらに如何に運行すべきかを如来蔵は知っている。ここには如来蔵の自証分のみならず証自証分も存在し、如来蔵が自らの運行状況を明らかに知ることが証自証分である。もしこれを知らなければ、業種の現行する果報に完全に従うことができず、因果は混乱することになる。
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