座禅観行の際、速やかに心を清浄にするためには、まず呼吸を調え、気血の流れを円滑に致します。身が調えば心は静まり、心念が集中致します。この状態で観行に入れば、頭脳は明瞭となります。もし観行がなお不明瞭な場合は、まず念仏または真言を唱えて身心を調えましょう。唱える際は発声を極めて緩慢に、徐々にゆっくりと唱えるほど、呼吸の調和が良くなり、心念が散乱せず集中致します。同時に仏様を観想し、仏光が全身を照らす様を観じれば、加護の力を得て心は速やかに静寂を得、直接観行の境地に入ることが可能となります。故に座禅観行に先立ち、心念と呼吸を調えることが肝要な段階でございます。
身体を適切に調え、気血の巡りを良くしてこそ、心は静寂を得、観行に効果が現れます。心が静まらない際は、深い呼吸を数回行って調えるか、呼吸念仏の法を用いると良いでしょう。呼吸法による念仏は即ち呼吸を調えることであり、徐々に身体の任脈を通じ、気を丹田に至らしめます。気が丹田に入れば心念は集中し、他の妄念は消滅致します。意念が丹田に至れば、呼吸は自然と円滑となり、丹田は温かみを帯び、全身が安楽を得て禅定に入り易くなります。身体が静まれば、心もまた静寂となるのです。
深呼吸の回数と呼吸の長短は、個人の体質に応じて調節致します。体質が良く妄念の少ない方は一呼吸から五呼吸、多くても十呼吸程度で充分でございます。過度に行えば疲労を生じ、却って効果を損ないます。心が静まった後は呼吸を観じ、身の静まらぬ部分を観行の順序に従い徐々に観じて参りましょう。
前段階の法が熟達せぬ内に次の法を観じてはなりません。先の観行が確固たる基礎を築いてから、次の段階に進むべきでございます。
呼吸念仏法で身体を調える際は、必ず吐く時に念仏を唱えることに留意致します。吸う際には唱えることができず、後膛音を用いて発声致します。音声の振動が五臓六腑の滞りを震わせ開き、気流が丹田に直下して任脈を通じ、身体が調います。念仏は極めて緩慢であるため妄念が生じ難く、呼吸を調えつつ最も容易に禅定を得られます。緩慢な発声により注意力が全て念仏と音声の聴取に集中し、心は静寂を得て妄念の減少と止滅に資するのです。禅定が現前すれば声を発することなく静寂に入り、心念が清浄となって明瞭に呼吸を観じ得ます。
このように身心を調え気血が通じた状態で座禅すれば、昏沈に陥ることはございません。昏沈は主に気血の滞りによって生じます。更に深き所縁境を得て心を専注すれば、昏沈し難くなります。気血が通じず栄養が脳の消耗に追い付かねば昏沈を来たし、これは身体の気血が調わぬ故でございます。適切に調えば昏沈現象は生じず、正常な観行状態に入ることが可能となるのです。
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