衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年10月06日    土曜日     第3開示 合計883開示

六波羅蜜は参禅の基礎です

頓悟の前提は漸修にあり、頓悟を遂げた者は誰もが長短さまざまな漸修の過程を経ている。漸修なくして頓悟はない。頓悟を求めるなら基礎を固めねばならず、菩薩の六波羅蜜はその基礎と条件である。菩薩となるには相応の菩薩の条件を備える必要があり、何の理由もなく菩薩になれるわけではない。無量劫以来の生死の一大事を解決することは容易なことではなく、必ず相応の代償を払って初めて成し遂げられる。

これらの条件さえ整えば必ず頓悟できる。なぜなら悟りに人数制限はなく、世俗の好事には限りがあるため、時には抜け道やコネが必要なこともあるが、悟りによって心を明らかにするこの法はそうではない。条件を満たす者が誰でも悟りを得られ、他人が阻むことはできない。だからこそ自らを修め、自らを完成させ、聖賢に近づきさらに近づいて、ついには聖者の列に入らねばならない。

現代の仏教修行者には焦燥感が蔓延している。基礎を築かず六波羅蜜も修めず、いきなり坐禅して即座に悟ろうとする。多くの者が七階建ての七階目だけを欲しがり、一階も二階も不要とする。世尊は繰り返し菩薩の六波羅蜜を説き、福徳と戒律の重要性、そして心性を調伏することの決定的な意義を強調されたが、修行者たちはこれらを顧みず、ひたすら最後の般若の智慧のみを求める。これは得られるものではない。智慧の獲得には前提条件があり、福徳の資糧が具足し、戒律を守持して初めて禅定が具足し、ようやく智慧が生まれるのである。

われわれは理行や慧行にのみ心を用い、基礎となる福徳と戒律に心を留めないような修行では成就はありえない。仏の教えを信受し、仏が命じられたことを努力して実践せねばならない。帰依・受戒・持戒・心性の調伏はすべて重要であり、これらの条件を省いて直接に果を得ようとしてはならない。世俗の汚れが深い者が聖人となり得ないのは明らかである。修行者と聖人との隔たりがあまりに大きければならないため、五戒・八斎戒・菩薩戒はいずれも守持すべきであり、世俗の法からわずかでも離れて初めて道を証し、聖人の仲間入りができるのである。

——生如法師の開示
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