世尊が説法される目的
仏がかつて浄飯王に説かれた法はすべて解脱の法門であり、様々な妄相や夢境を用いて浄飯王を警醒し、五欲六塵から解脱させるものでありました。私たちはすでに万法が夢の如く幻の如く、人もまた夢の中にいるが如く、実体あるものではなく、この身が幻であることを知ってはいますが、まだ真に証得してはいません。証得しようとするならば、禅定を修習し、深く観行に入り、証得した後、徐々に解脱を得ることができます。世尊が説法される目的は、衆生を解脱の門に入らせることであり、仏が説かれる八万四千の法門はすべて解脱の法門であり、一つの法門から入れば、すべての法門に通達し、法法が解脱をもたらします。仏がこの世に生まれたのは、衆生を度脱し、生死の苦から解脱させ、衆生を仏の知見に入らせ、究竟の仏果を成就させるためです。小なる解脱は人我執を断じて阿羅漢となることであり、大なる解脱は法我執を断じて大自在の仏果を成就することであり、これが最も究竟なる解脱です。
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