衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年04月11日    日曜日     第1 回の開示 合計3290回の開示

六・七識が身・口・意の行いに及ぼす作用

問:意根が人の身行・口行・意行を主導しているならば、身行と口行において六識は具体的にどのような作用を発揮するのでしょうか。 

答:意識は身行と口行の具体的な実行者、つまり造作者です。身行と口行から意識の運行様式と作用を認識すべきです。例えば歩行・静止・坐臥・言語・笑談・飲食などは全て意識と身識の共同作用によるものですが、操作者は意根です。表面的には意識が指揮しているように見えますが、意識は提案するだけで、最終決定は意根にあります。運行過程で意識が他の考えを生じさせ意根に助言することもありますが、意根が妥当と認めれば採用し、同意しなければ決断と命令は変わらず、意識は従来通り運行します。 

身行は意識と身識の和合運作であり、口行も同様です。色を見るのは意識と眼識の和合、声を聞くのは意識と耳識の和合、香りを嗅ぐのは意識と鼻識の和合、味わうのは意識と舌識の和合、触覚を感じるのは意識と身識の和合です。六根の運行には全て意識の作用があり、意識がなければ五陰身は動けず、意識が弱ければ五陰身も動きにくいのです。 

問:師父は法義で「意根が直接神経系を調節し、神経系が直接筋肉収縮を制御する。よって人体の筋肉活動を直接操作するのは第七識であって第六識ではない」と説かれました。ではなぜ身行は意識の機能作用と言えるのでしょうか。 

答:顕著な身口意行は全て意識の運行を必要とします。そうでなければ六識は無用となり身体も動きません。神経系の収縮・弛緩は意根が調節する無意識的行動で極めて微細ですが、呼吸のように意識が部分的に関与する場合もあります。身体移動は意識なしでは不可能です。微細な神経活動(睡眠中の痙攣・瞼の瞬き等)は意識を必要としません。軽微な呼吸も無意識可能ですが、意識で能動的に調節(深呼吸等)することも可能です。 

肉体に密接した筋肉神経活動は意根単独で調節可能で、意識の協力を要しません。意識は意根を誘導できますが全身を指揮できず、意根が単独で中枢神経系を制御し全身に指令を発します。意識が関与する神経活動を有意識行為、関与しないものを無意識行為と呼びます。呼吸・筋収縮・失禁・腸蠕動・気血運行、及び驚愕・憤怒・恐怖等の特殊情動がこれに当たります。身根の運動活動には必ず身識・意識・意根の共同調節が必要です。

——生如法師の開示
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